お土産話になるはずだった話

 お久しぶりです。

 今回このタイトルで久しぶりに書こうと思ったのは、今年度の怒濤だったいくつかのエピソードを誰かに共有したかったっていうだけなんだけど。今年度末は広島に帰れるかどうかわからないのと、大学同期にも会えるかどうかわからないということで。ただただ一方的な独り言として読んでもらえればと思います。

 まず、コロナ。これが本当に曲者でね、。3月の緊急事態宣言発令後、まさか本当に街頭からトイレットペーパーやマスク、米や非常食がなくなるという現象が起こりうるとは本当に思わなかったな。まあ、自分はずっと家で自粛していただけなんだけど。文字通り家の外に出ず、毎日ずっと家で時間を過ごす。なかなか今思えば正気じゃないよね。その間あまりにも暇すぎるからゲームしたり、好きな教科の教科書を読みなおしたり、筋トレのアプリも入れて、結果半年続けてました。(自粛によるストレスも相まって、自粛前と比べて5kg痩せてた…)

 

1か月程度遅れての授業再開、しかもすべてオンライン化。これもすべてが非日常で、ただただきつかった。特に課題の量が。。。(課題さえやればいいとも捉えられるけど)これについてはきつかったって以外の感想がないけど、対面にはなかったメリットも見つかったね。

  1. 必修文系教養の授業が動画視聴→いつでも受けられる+倍速視聴+動画停止、巻き戻しが可能

  2. 起きる時間が遅くて済む→これ地味に滅茶重要

  3. テストがない(課題が多くてもテストがないのがいいか、テスト一発がいいか、ここは人それぞれで意見が分かれそう)

 

課題の量: 研究室配属で単位と成績が必要だったから、量と質を両方頑張らないといけなく、授業も前期26単位+課題、正直しんどいと思ってた。(周りのガチプロは30単位以上申請して俺よりGPAが上でした。強すぎるね) でも一学年上だったら研究できない期間が2か月、一学年下だったら、夏休み返上で実験でした。まだマシな方でした。

 

ここまでは、正直以前に書いたことのある内容で、語るほどでもないんだよね。ただのつらかったエピソードなんて誰得でもないからね。語りたいのはここから。

 

研究室生活!!!!!

自分の研究内容はまだ決まってませんが、自分の研究室としての専門分野は大きく2つに分かれており、有機合成化学創薬化学を基盤とした病気の治療法の確立と、ホウ素中性子捕捉療法(Boron neutron capture therapy; BNCT)です。

 

有機合成化学とは

有機合成化学では新規化合物を導出する合成計画や、より合理的かつ効率的な合成計画を導出する方法論が研究対象となる。すなわち有機合成化学では目標化合物が存在していて、それを合成する手法をあるいはそれに付随する概念が研究対象となる。その合成手法の完成形として、一般的あるいは入手可能な単純な化合物から出発して合成困難な化合物へと至る一連の化学反応のプロセスが合成計画として立案される。」

「合成計画では化合物の一部分に着目し、その部位に対してある化学反応を適用することにより官能基変換や置換基の導入を行うのであるが、実際には化合物全体が反応条件にさらされるので、適用した化学反応が着目点以外の部位に対しても影響する可能性がある。また、合成計画のプロセスを入れ替えると、それによってプロセスの各段階での置換基や中間体の構造は変化する。したがって、目的の部分に対して化学反応が作用するように合成計画の各段階は良く吟味する必要がある。」

 (有機合成化学 - Wikipedia より引用、2020/11/29)

 

まあざっくりいうと、天然物の構造を模倣した、何らかの生物活性を持つ低分子・中分子化合物(ヒット化合物: ダイヤモンドになりうる原石といったもの)を収率・環境への負荷・効率性を議論しながら合成(有機合成)し、それがin vivo(細胞、組織レベル(実際の生体内))で活性を持つ化合物(リード化合物)となりうるのかを検討するまでに持っていくこと?かな。

(所属して1か月の俺が語るに至らないけど) (in vivoで活性を持つかは、自分の手で確かめてる人もいれば、共同研究先に提出して任せる場合もあって、後者が多いらしい)

 

ホウ素中性子捕捉療法(BNCT)とは

 ホウ素中性子捕捉療法とは、50年来研究されてきた、がん治療に対する新たに提案された治療法です。今までのがん治療は、放射線療法や外科手術といったもので、患者に対する負荷が大きいのが現実でした。(医学部じゃないからあくまで一般論でしか言えないけれど) それに対し、新たなアプローチとして、DDS(Drug Delivery System)の技術を利用した新たながん治療の一つに挙げられるのが、このBNCTです。

DDSとは、がん細胞が正常細胞に比べて血管の、酸素や栄養分を取り込むための隙間が大きいこと(EPR効果)を利用して、がん細胞のみ選択的に薬剤分子を届ける手法です。(この分野は高分子と薬剤分子の両方の視点から語れるのですが、今回は薬剤分子のみにします。)

ホウ素クラスターを備え付けた薬剤分子ががん細胞に届くと、メカニズムは未解明ですが、ホウ素1分子ががん細胞内に放出されます。そこに中性子線を存在させると、α崩壊によりα線が放出されます。その際に生じるエネルギーを利用して、がん細胞を破壊する試みがこのBNCTです。(ラボのボス曰く、つい最近やっと1例目が実際に臨床試験を突破し承認されたとのことで、大変熱く語っていました(笑))

DDSによってがん細胞特異的に運ばれる薬剤分子の合成の研究が、うちのラボの大きなテーマの一つです。

 

ここまで聞くとすごい!と思われるかもしれませんが、実際はそんなに甘くありません。自分に指導してくださる先輩は、一つの化合物に機能を持たせるための合成に1年を溶かしたとおっしゃってました。さらに、BNCTは50年以上かけて初めての臨床試験承認...創薬の道は険しいみたいです。

何といっても、有機合成ブラック。ラボの滞在時間も、B4から9:30~21:00前後になりがちで、Masterやdoctorの学生はそれ以上に残ってます...実際に自分も最長で9:45~23:00をすでに経験しています...


あと、マジで暇なときに教科書を読んどいてよかった。これだけは本当に。まだ読み終わってないけれど、少しでもやっておいてよかった。

 

今、自分は研究室に所属して1か月が経ち、慣れない実験操作も少しづつ早くなってきたり、失敗も少なくなったりと、以前よりできることが多くなりました。ラボの先輩方もほとんどの人が優しく、気軽に相談できる人が多いです。(黒い噂も耳にしますが...) 今は以前より気持ちが楽になり、モチベーションもそれなりに保てていますが、以前は...


(プレッシャーと自分の不甲斐なさと先輩・家族に対する申し訳なさがずっと心の中にあり、それがついに爆発して、ラボの先輩の前で号泣した話はまた別の機会にします笑)

 

ここまで長々見てくださった方へ、感謝を込めて。ありがとう。広島に帰れたり、大学同期で会う機会があれば語らせてください(笑)

 

 

 

 

 

ただの独り言

大学生になって3年目に入り、1Q(前期の半分)が終わったが、学年が上がるにつれてとある1つのことをよく考えるようになった。それは「自分はなんのために生きているか」という自分自身に対する問いである。

高校生までは、自分で何も考えずとも、家族、そして学校が敷いてくれるレールに乗って暮らしていれば、何の生きづらさも感じることもなかったであろう。(専ら苛めや、学校に行きたくない、朝が起きれないなどという点を除いては。。。)少なくとも自分は、生きづらさを考える余地が無いほどに1日が充実していたと今になって振り返ることができる。

それとは対照的に、大学生になれば、世間体でも自主性が重んじられると言われている。実際に自分が大学生を経験してみて思ったことは、自主性<<自由に使える時間が増えるといった方がしっくり来るということだ。その時間はサークル活動や恋愛、課題、アルバイトやインターンなどに費やすのが定番である。うまく1週間の予定を充実させれば、達成感を得られ、生きづらさを感じることはほとんど無い。自分も、週5で授業をいれ、バイトまでの時間を課題に充て、バイトにいって家に帰って1日が終わる日や、学校→サークル→帰宅→課題→1日が終わる日の寝る頃には、「今日も頑張ったな」と、自分を誉めてあげたい気持ちが生まれる。そうして自分を肯定してあげることで、自分という存在を認めることができる。

では何故生きる意味について考えるのか。言い方を変えてみよう。「なぜ自分を誉めてあげられなくなったのか。」そのすべての根本は、「惰性」にあると自分は考える。

自分が生きる意味について考えるようになったのは、 2年の3Qが終わった辺りである。当時の自分は、研究室配属のための成績を集めることを理由に多くの授業を受講していた。当然その分自分が勉強する量は増えるが、その事に対しては特に後悔はない、ただ1点を除いては。それは、「勉強と言う名の海に浸かりすぎて、海そのものの綺麗さを見失ってしまった」ことである。

自分が専攻している生命科学は、ざっくりいうと、「生命現象を物理と化学で理解する」といったような学問である。学年が上がれば、受講する各科目のウェイトも重くなるわけだが、科目をとりすぎて1つ1つの単元のポイントを暗記することが学問だと勝手に勘違いしてしまっていたのだ。いや、そうならざるを得ないように自分が仕向けてしまったと言うべきだろう。いずれにせよ、至り着いた先は、「何故自分はこのような勉強をしているのだろうか」「付け焼き刃の暗記で何になるんだろう」といったある種の不安である。

こうした不安は次に、「何のために大学に来たのだろう」という発想に至り、最終的に「自分は何がしたいのだろう」「何のために生きているんだろう」という煩悶に変わる。周りには、一目置くような志の高い同期も多くいるが、それ以上に多いのは、ただ大学に合格しただけの学生である。彼らや
、勉強する価値を見失った自分に共通する者は、ただただ「惰性」なのである。

自分が1年生の頃、授業の一環でautophagyの作用機構解明でノーベル賞を受賞された、大隅先生のお話を伺う機会があった。そこで先生がおっしゃったのは、「研究で一番重要なのは、人の役に立つことではなく、研究を面白いと思い、突き進めることのできる探求心である」とのことだった。この言葉は、海に溺れていた自分をしばし掬い上げてくれた。惰性で勉強するのではなく、何か学習していることと身の回りとの繋がりを知ると、何か点と点が繋がったかのように急速に理解が深まり、同時に生命現象の神秘さに惹かれていくのを感じるようになった。

充実した学生生活、人生を送るには、中二病に思われるかもしれないが、「自分で自分を認めてあげる」これに尽きると思う。

そのために、 勉強でも、部活、サークルでも、恋愛でも、バイトでも何でもいい。自分が本当にやりきった、と後悔のない学生生活を送ることが重要である。そうすればそこに「自己」は必ず存在し、それを実感することで認めてあげることができるであろう。

やりたくないことの勉強、そこに価値を見いだせない勉強は本当にきつい。しかし、実際にやってみなければきついかどうかはわからない。多くのことに触れ、新たな知見を得て、俯瞰的に自分の人生計画を立てていきたいと思う。


最後に、この言葉を紹介したい。

「勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記《あんき》している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!」
(太宰治,正義と微笑より)

この言葉は、本当に心に突き刺さる。面白いと思える分野もたくさん見つけたので、好奇心、探求心でこれからも精進しようも思う。おしまい。


p.s.
5月始めからオンライン授業と課題を、家から1歩も外へ出ず、固い椅子に座ってずっとやってたら 6月始めに痔になりました。

2019年度、B2を振り返って(超短いよ)

 この一年間は、はっきり言って受験の時と比べるのは違う気がするけど、人生の中で一番勉強したかもしれない。いや、むしろひたすらレポートを書いていたといった方が正しい気がする。でも2年生が終わったので、もう2外・英語(あとはTOEFLで基準点を超えるだけ)は受けることがなくなったよ。この一年間は本当に長かった。。。

 

 三年生はもうちょい、楽にします(笑) 

 

 あと半年で研究室。行くなら高分子orナノ分子、医薬分子かなあ。いずれにせよ学士は工学でとりたい。

 一月同窓会で広島に帰ってから、みんなに会ってもらったエネルギーのおかげで、4Qも最後まで走り抜けられそう。中には、春休みにも会おうって言ってくれる高校同期がいてくれて、俺本当にそれを励みに頑張れた。

 春休みはもうすぐ来るけど春はまだ来ないね。。。。。。。。。。。今夜はとってもいい詩が書けそう。とりまおーしまい、おやすみなさい。

 

2020年の抱負

明けましておめでとうございます。自分なりに2020年の抱負を以下綴って見ました。

今年頑張りたいことは主に以下の3つ。
1.第一希望研究室に入る
2.学生ライフを謳歌する
3.人との繋がりを大切にする

1について
なんといっても来年度の学業面での目標はこれにつきるでしょう。生命理工とはいっても実際は、微生物などの有用生産物質(いわゆる発酵などの食品系)から高分子、藻類やゲノム解析などのバイオインフォマティクス創薬を含む有機合成や多分化細胞など理工だけでなく農学、医学、工学といった多岐にわたる研究室が存在してます。そのなかで自分は創薬とがん細胞に興味を持っています。春休みやGWで、実際のラボの雰囲気や具体的な研究内容とかを見に行く予定です。
先輩にもいわれましたが、ラボ選びにはいくつかのポイントがあるそうです。ブラックかどうか、雰囲気はどうか、お金はあるか、取り扱っている内容はどんな感じか。これらをしっかり見定めて選びたいと思います。勿論人気の研究室に入るには成績が必要となるので、選択肢を増やす意味でも気を抜かずできるだけのことは惜しまずやってみるつもりです。

2,3について
学生ライフを謳歌する、とは具体的にいうと、サークル活動を楽しむことと勉強を楽しむことです。
カリキュラムを見てみると、3年生では2年で習ったことを工学応用するための学問を履修することができるとあり、楽しみです。
サークルでは、他系の同期の友達やや後輩もできました。合宿係としての仕事もあるので、どうせならやりきってやろうと思ってます。入学してからあっという間に時間が経ち、もはやサークルの最高学年になって引退までも1年を切ってます。3年生は学部最後の遊べる年らしい(?)のでとことん楽しんでいこうと思います。
そして、大学でいつも授業を一緒に受けてくれる友達、サークルで一緒にバレーしたりご飯にいく友達、そして大学が違っても思出話ができる高校同期との繋がりを深め大切にしていきたいと思います。

最後になりましたが、今年もよろしくお願いします!

2019年を振り返って

2019年を振り返ってみると、色々と悩み、忍耐の年でした。

サークル面
サークルは日々のストレス発散と体を動かすために中高続けてきたバレーボールを大学でも続けています。今年度は合宿係という責任ある役職につきましたが、やりがいをもって努められています。最近は忙しくて行ける回数が減りましたが、メンバーにも恵まれ、他系の友達もでき、充実した日々を過ごせました。

学業面
①実験
自分は今、東京工業大学生命理工学系に属しています。生命理工学系では、2年生の1年間を通して基礎実験が各quarter(以下Qと記す)で1つずつの、計4つのテーマ(物化、有機、生化、分生)に分かれて行われます。週2回行われ、各実験毎にレポートが課され、それをこなすだけでかなり忙しかった気がします。妥協したくないからと文献を探したりしてたら、結構時間が持ってかれてましたね。年明けてもまだ続くんですけれども。

②専門科目
東工大は1年末の間は系、所謂学科に属さず、2年になって専門科目を受けます。だから2年になって専門科目を受けていけば、自分の興味が湧く分野も見つかるだろうと思ってました。自分はなんとなく、せっかく工業系の大学に入ったんだから工学系のことがしたいなぁと漠然と考えてました。

しかし、蓋を開けてみれば理学系の内容、しかも生命と名乗っておきながら化学ばかり。もちろん工学応用するためにはベースとなる理論、原理を追究する理学は欠かせません。ましてや生命理工学系の名の通り、理学を扱って当然です。生体反応や生体分子の議論においては、化学反応や化学物質を扱うわけですから、当然化学は避けてとおれません。まあ、土台のないところに家は建つはずがありません。

自分は大変浅はかながら、系に属したらやりたいことがすぐやれると思っていました。そして断っておきますが、理学だから駄目とかそういっているわけではありません。学問は自分の興味で進めていくわけですから。身の周りの現象に興味を持ち、知識を習得しながら原理を追究すること=理学は本当に面白い分野だと思います。実際自分も分子生物学で習った、がんの仕組みや体内での物質輸送の話はとても聞いていて興味深かったです。有機化学においても、知らない反応の原理を理解して反応機構を書けるようになったとき、本当に充実感と達成感を覚えました。そしてそれが身の回りでこう使われているんだと知ったとき、点と点が線で繋がったようで、感銘を受けました。

しかし、生命系で習う物理化学、有機化学は正直化学系や応化、物理系の専門科目の浅い部分をかいつまんだだけ。(それなら理学部でいいよねってなりそう。)本当にこんな感じで一年後に研究室に配属されてやっていけるのか不安でした。まあ、高校生という社会経験のないときからなりたいものを決めるっていうのも今となってはなかなかsevereなのではという気もします。実際今でも将来どんな仕事をしているのかなんて想像もつきません。

研究では、未知のものを追求し原理を解明したり、新たな製品や物質、治療法、low costかつ高収率な物質生産方法を開発する方などに重点がおかれてしまうのが現状です。自分は大学に入る前、社会で役に立てる研究者になりたいと思ってました。ですが、研究で大事なものの根源はそんなことではありません。何が大切なのかというと、面白い感じることとそれに対する好奇心、探求心。これに尽きると、この2年弱東工大で過ごして感じるようになりました。役に立つかどうかなんて成果がでて初めてわかることであり、それを第一目標にしていては研究は絶対続きません。まだ研究室に属してない学生が何いってるんだといわれそうですが、こうして自分の将来について色々と考える日々を過ごしてきました。

あまりこの話をしたことはないのですが、タラレバになってしまうけれども、本当は医学科に行けるなら行き、医者のライセンスを持って医療分野で研究職につきたかったです。しかし自分はセンター試験の国語が苦手だったこと、入試方式が自分にあっていたこと、医学科に近いことができるという点で東工大生命理工学系を第一志望に受験勉強をしていました。入学してみて、理想と現実の違いを感じたこともありますが、医学科では学べない理工学的視点を少しですがもつことができるようになり、今はここでよかったと胸を張って言えます。一緒に授業を受けてくれる友達、問題について議論しあえる友達、愚痴を言い合える友達、一緒に遊んでくれる友達を持てて幸せです。

正直いうべきではないと思っているのですが、最近は正直とても忙しいです。3年後期に行われる研究室配属では、GPT(成績の評価のひとつ)で割り振られます。そのための点数を稼ぎ希望の研究室にいくために、2年後期は単位を多く申請して授業を受けています。専門もどんどん難しくなってますが、やりたいことや知りたいこと、興味深いことも講義で多く出てくるようになったこともあり、なんとか頑張れています。

色々と今後のことや過去のことを考えてしまう一年でした。ですが、家族を始め、友達などたくさんの方のお陰で2019年も無事に過ごすことができました。2020年もどうぞよろしくお願いいたします。1年間ありがとうございました。よいお年を。